ラブライブ!サンシャイン!! 二期 #1「ネクストステップ」

この記事は、メモです。

 

ネクストステップ」というと恐らくNext Step! Projectのことで、3rdシングルに2nd LIVEツアー、Aqours CLUB、そしてラブライブ!サンシャイン!!二期も含めた2017年度のAqoursの活動全体を指す言葉ですが、そのプロジェクトから名前を引っ張ってくるのは、アニメとラブライブ! School idol projectが独立ではないと印象づけられるタイトルです。

もちろんアニメとラブライブプロジェクトが独立なんてことはありえないのですが、ここでの独立とは、たとえばラブライブ!二期の中でμ'sが解散したときに、他媒体でのμ'sの扱いが変わるか、という意味の話になります。

 

ただ「この独立でない」ことの時系列が、ラブライブ!二期のようにアニメが先であるとは限らず、たとえば次回タイトル「雨の音」はSeptember rainであり「夏の終わりの雨音が」を連想させていて、もしかすると今後も3rdシングルやユニットシングル絡みのタイトルがあったらいいなあ。(少女以上とかコワレヤスキとか地元愛とか)

 

  • 紙飛行機

白い羽根に続く謎のアイテムですが、その羽根だってその役割が最も分かりやすく示されたのがラブライブ!サンシャイン!!一期12話だったりするんで、この紙飛行機が何なのかについて考えるのはゆっくりでいいと思います。夢の中のしいたけについてもゆっくり考えよう。

 

一期でも散々μ'sあるいは高坂穂乃果との違いを示してきたAqours高海千歌ですが、次のラブライブについても最初から参加する気満々です。

まあμ'sと違って廃校(統廃合)の阻止という目標が達成できていない事情もありますが、そもそも千歌たちがスクールアイドルを始めた理由は統廃合の阻止ではないため、開催が来年の春であり統廃合阻止への対策として絶望的であるとしても、仮に前回のラブライブで統廃合の阻止に成功していたとしても、それらはAqoursラブライブに参加しない理由にはならないでしょう。

 

  • 三年生

尊い

 

  • 沼津

Aqoursの練習場所が沼津駅前に変わりました。

浦の星女学院からの巣立ちの準備が着々と進んでいるように感じられてちょっぴり複雑な気分。ところで「PVを作ろう」で沼津までバスで五百円以上すると言っていたような気がするんですがお財布は大丈夫でしょうか。

それはそれとして、ここの花丸ちゃんと梨子ちゃんの「本屋もあるずら」「ええっ~♡」という会話、もしこの本やがマルサン書店のことだとすれば、梨子ちゃんの沼津慣れしてなさが相当に深刻なレベルです。

ラブライブ!サンシャイン!!の「この番組の設定等の一部は架空であり~」というテロップを根拠として、ラブライブ!サンシャイン!!を視聴する際、実際の沼津を切り離して考えなくてもよいと思っているのですが、ともかくG's次元やスクフェス次元と違って、梨子ちゃんは沼津にほとんど足を運んでないと考えられます。

 

練習場所が沼津に移ったとはいえAqoursの本拠地は内浦なので、梨子ちゃんが沼津のことを知らなくても問題はないといえばないのですが、しかしたとえば浦女の生徒に「マルサン書店で集合ね」と言ったとすれば、梨子ちゃん以外の全員がピンと来るのではないかと思います。

そんな内浦noobである梨子ちゃんが「東京とは違って、こんな小さな海辺の町の私たちが、ここまでよくやってこれたなって」なんて言ったら、千歌ちゃんがおこりんぼ大会を開催してしまうのも無理はありません。

東京から普通星にやってきたウルトラマン桜内梨子

何を思って、何のために、あるいは、誰のために戦うのか……?

 

  • がおおおおおおおお!!!!

前回のラブライブで何者になることもできず、本当に普通怪獣になってしまった千歌ちゃん。かわいい。

 

  • 真夏は誰のモノ?

「そういうところが可愛いんだよ」って、この姉妹はやばい。

とてもまじめな「君の名は。」考察 -パンチラと和解せよ- (※ネタバレ注意)

君の名は。見ました。

 

見ましたが、見ていて「えっ!?」ってなりました。

これ絶対に私だけじゃないと思うんですが、ほら、あのシーンです。

終盤のシリアスシーンに描かれる……突然のパンチラ!!!!

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いやまあとりあえず「なんか唐突だけどありがとうございます!」って叫びましたとも。

実際あれは神様仏様新海様に感謝を捧ぐべきシーンだったと思います。

 

それにしても突然のパンチラだったなぁ……と最初は真に受けていました。

 

しかし鑑賞後によくよく考えてみると、あのパンチラは唐突でも何にもないことに気付きました。

あのパンチラは「君の名は。」の主題ともいえる重要な要素に多かれ少なかれ関わっていたのです。

重要な要素、それは――

 

セックスです。

 

セックス。

それは「君の名は。」という映画の最も称賛すべき部分であると思います。

セックスの描写が禁じられたアニメという枠組みにおいて、しかしながらセックスを描写しないことには真に男女の恋愛を描けないという矛盾――それをこの作品は見事打ち破って見せたのです。

 

さてセックス。

この作品におけるセックスとは何か、言うまでもありません。

 

瀧くんが三葉の口噛み酒を飲むシーンです。

 

まず口噛み酒というアイテム。

これは序盤からしっかり「人前ですることではない」「顔写真をつけたら売れる」など、禁忌的でかつ性的な意味合いを持つものであることがしっかり描写されていました。

えっちですね。実際あの生成シーンで「飲みたい」と思わなかった男性視聴者はいないと思います。

 

次に、あのご神体の場所。

幽世という、現実から少し離れた場所にある、他人の目の届かない暗室。まあもってこいの空間です。ラブホです。

何よりも一葉さんの言う、「ここに来たら一番大切なものを置いていかなければならない」

そう、三葉は乙女にとって一番大切なもの――処女を、あの場所に捧げてきたのです。

 

そして飲酒という行為。

酒を飲むという大人の、大人になるための行為、特に未成年である瀧くんにとって、さらにそれは禁忌的です。

禁忌的な大人の行為、つまりセックスです。

あのシーン、見ていて妙にドキドキしませんでしか? だってあれはもうセックスなのですからそれは当然です。

 

 

ということで。

瀧くんが三葉の半身である口噛み酒を飲むことで、ふたりのセックスは成立しました。

 

 

とまあ振り返ってみれば、このセックスシーンに向かって数々の描写が重ねられていたわけで、このシーンこそが「君の名は。」の本質であるといえるでしょう。

セックスの一点にフォーカスを絞って、107分をかけて濃厚に描写を重ねた作品、そりゃあ衝撃的です。大ヒット間違いなし。

っていうか新海誠、変態です。

 

 

さてセックスセックス連呼するのもアレなんでパンチラの話に戻りますが、あのシーンがセックスだとすると、シリアスシーンに現れたパンチラの意味も見えてきます。

セックスを経て処女を失った三葉は、純潔である必要がなくなったのです。

そう考えれば、なるほどパンチラが解禁されるのもさもありなん、あのパンチラは「事後である」ことの象徴的な描写だったといえます。

セックスへ至る「君の名は。」という映像作品は、事後もきちんと描いていたわけです。

髪を切ったという三葉のビジュアル的な変化も、単に劇中で語られた通りだけの意味ではなく、要するに非処女としてのシンボルだったのだと。

 

 

作品が全体を通してセックスの直喩にして暗喩だったことを考えると、新海誠作品に合ってるのか分からなかったRADWIMPSの楽曲も、なるほどぴったりなのかもしれないと思えてきます。

ロックバンドの楽曲に「恋愛を綺麗事みたく歌ってるけど結局はセックスするんだろ」と思ったことはありませんか?

それこそが徹底的にセックスを暗喩する「君の名は。」の世界観であり、よってRADWIMPSはぴったりなのです。

 

 

要するに「君の名は。」はセックスアニメをあたかも純愛青春ドラマ風に仕立て上げた傑作なのです。

あるいはマイルドに言うと、セックスなしに男女の恋愛を描き切った作品なのです。

つまりは綺麗で本質的で、オタクにもリア充にも楽しめる映画、それが「君の名は。」なのです。

すごい。

 

 

オタクよ、パンチラと和解せよ。

 

 

(おわり)

うろ覚えのラブライブ!サンシャイン!!の感想(二年生編)

※アニメを見て僕はこう解釈した、という話なので二次創作程度にお読みください


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本家とサンシャイン、どこが一番違うかといえば、それはもう人間関係のドロドロだと思います。
その最たる二年生組の人間関係こそサンシャインの一番の見所といっても過言ではないでしょう。


なので過程をすっとばして11話の話から入ります。



プール清掃の後、梨子が抜けた穴をどうするかという話題にとなり、そこで果南が梨子の代役に曜を指名します。
関係ないけどここの「ん? えっ? ん? えっ……えっ!? 私!?」好きです。
それとないメンバーの総意で曜に決まったようにも見えますが、その後のシーンで鞠莉がスクールアイドル部創設メンバーについて驚きを見せたように、果南以外のメンバーは二年生組の人間関係への理解は浅く、同じ二年生で仲も良いからといった程度の理由で曜を選んだのだと推測され、やはり直後の「曜なら合うと思ったんだけど」のセリフからも果南が率先して曜を推薦したと考えるべきでしょう。実際、果南が二年生組に対して非常に近い距離にあることは加入前も加入後も何度か描かれていました。


しかしところがどっこい曜と千歌の踊りは合いませんでした。
曜のアドバイスをきっかけに上手く踊れるようになりますが、その会話では、千歌の「どうしても梨子ちゃんと練習してた歩幅で動いちゃって」という発言に対して、曜は「梨子ちゃんと練習してたとおりにやってみて」という一見的外れなアドバイスを送っています。この文字上の不一致は、それだけ曜が千歌のことを見ている、理解しているという描写でしょう。
踊りが合わなかった原因としては、曜と一緒に何かしたかったというのが千歌の想いが空回りして踊りに影響を与えていたと考えるのが妥当でしょう。梨子と二人で練習した動きは二人だけのものにしたかったというちかりこ過激派思想で考えることもできますが、そこは宗派の問題です。



さてその後、鞠莉との会話シーン。
「千歌っちにも梨子にも話せないでしょ」という鞠莉の発言を否定することなく、曜はぶっちゃけトークを開始しました。大好きはもう隠さない。

こことの対比となるのが、翌晩の曜と梨子の携帯での会話です。
「千歌ちゃん、前に話してたんだよ」と始まる、梨子の口から聞かされる千歌の本音。
曜にとっての千歌への想いは、千歌にも梨子にも話せるものではなかったにも拘わらず、千歌の曜への想いは、梨子には明かされていました。
8話で曜が問いかけた「悔しくないの?」「やめる?」に対する千歌の本音が、曜ではなく梨子の前で語られたように、千歌にとって本音を明かせる相手というのが、いつの間にか曜から梨子になっていたのです。



10話では梨子の小さな変化に気付く千歌と、そんな千歌の様子に気付く曜が描かれ、引き続き11話でも曜の千歌への観察眼の鋭さは描かれました。
しかし千歌から曜への観察眼の高さは一切描かれていません。

にも拘わらず、曜の家の前で千歌はこう言います。

「曜ちゃん、なんかずっと気にしてたっぽかったから、居ても立ってもいられなくなって」

嘘です。
そっと袋に戻したみかんアイスや、梨子からのプレゼントを見せる時の描写……千歌は明らかに、曜の様子に気付けていなかったのです。
このセリフを語る千歌は、どこか誤魔化すような表情をしていて、しかも言った後には曜の反応を伺うように、ムッとした表情を見せます。誤魔化すような表情はただの照れ隠しとも解釈できますが、一切偽りのない本音の言葉であるならその後に難しい表情は見せる理由がないのです。
千歌の言葉が嘘であるという推測を肯定的に考えると、直前に二階の曜に向けて千歌が放った言葉が妙に台本調だった理由も見えてきます。ちょっぴり嘘だからです。
もちろん曜の気持ちを知ったことによって千歌が「居ても立ってもいられなくなった」というのは本音だと思いますし、それは汗だくになりながらも曜の家に飛んできたという行動にも反映されています。しかし先程のセリフの前半部分。千歌は曜の気持ちに気付いていたどころか、気付けていない描写ばかり重ねられていていました。やはりそこは嘘なのです。

では曜に対して鈍感だった千歌が、突然あんな気のきいたことを言えたのか……というと、曜が鞠莉にアドバイスをもらったように、千歌も誰かからの入れ知恵を受けたのだと推測できます。っていうか果南です。果南が11話の黒幕です。多分ね。

黒幕果南説の根拠としては、まず2話で二年生組が海の中で「想いよひとつになれ」のメロディを聞いたシーンに居合わせていたのは果南ですし、10話の千歌と一緒に梨子の部屋に上がるシーン、11話の生徒会室のシーンなども根拠に挙げられます。
10話の梨子の部屋のシーンは果南と二年生組の関係を考える上で重要なシーンで、つまりここで果南は千歌と梨子の関係性を把握する機会を得たわけです。
メタ的な発想でいけば、あのシーンの10話としての役割は千歌に梨子の部屋の楽譜を見せることなので果南が同席する必要はなく、また「想いよひとつになれ」に関しては千歌が作詞担当なので、単に梨子の部屋に千歌を上げるだけならそれを口実にすればいい話だったわけですが、そこに果南を挟んだのは、11話に向けて果南を二年生の人間関係を理解する立ち位置にするためだったと考えることができます。
つまるところ、11話で千歌が曜の家に向かったのは果南の差し金だった、というのがここの解釈です。



さて、曜はその後千歌に泣いて抱きつくわけですが。
その構図は恋になりたいAQUARIUMで千歌が曜に泣いて抱きつく構図と全く一緒です。
曜が千歌にぶつける本音を考えるシーンでうちっちーの着ぐるみを着用していたり、また12話の冒頭で曜がイルカの置き物を見つめていたりと、この話では「恋になりたいAQUARIUM」を強く意識した描写が見られます。
ようちか回なので「恋になりたいAQUARIUM」を踏襲すること自体は極めて自然ななりゆきなのですが、ここで11話のタイトルを思い出してみると「友情ヨーソロー」なのです。
恋と友情は対義語として用いられることも多いのですが、それを踏まえて11話を思い出します。

壁ドンしながら「私と梨子ちゃんどっちが大切なの」
木の下で「千歌ちゃん、私のことあんまり……好きじゃないよね」
みとしーにて「私、渡辺曜は、千歌ちゃんのことが全速前進ヨーソロー」

……どう見ても、友情じゃなくて恋です。恋なのです。
これらのイメージは直後に曜自身が否定、つまりその想いが恋であることは曜自身が否定するわけですが、そんな曜の感情を表現する言葉があるとすれば――それは「恋になりたい」に他なりません。
恋になりたい、それが渡辺曜なのです。

そんな曜ですが、梨子から千歌の本音を聞かされて、そして汗だくで駆けつけてくれた千歌に触れて気付きます。
千歌にとって梨子が本音を話せる友達であったように、自身もまた千歌にとって一緒に何かをやりとげたい大切な友達だったのだと。
もしそれが友情でなく恋だったなら、梨子が一番で曜が二番で……あるいはその逆であったりと、そんなことがあるかもしれません。しかし友情には順位はなく、千歌も梨子も曜もお互いに大切な親友なのです。

千歌と、そして梨子とも、こんなにも深い友情で結ばれているのに、恋になりたがった愚かな自分自身を、曜は「バカ曜」と称したのです。

そんな曜の恋になりたかった事情を反映したと思われるのが、11話の「ユメ語るよりユメ歌おう(歌:渡辺曜)」です。
11話の内容を考えれば、EDは当然、千歌と曜のデュエット(または二年生トリオ)であるべきなのです。10話では千歌梨子が仲良くデュエットしていたのですから、今度は曜の番です。
なのに11話の「ユメ語るよりユメ歌おう」はデュエットではなく、曜のソロだった……というのは、つまり恋になれなかった渡辺曜なのです。


曜と千歌と、そして梨子も含めて、これまで以上に「友情」を深めることができた、それがサンシャイン11話「友情ヨーソロー」でした。




さて内浦を離れている間にちゃっかり千歌の元鞘を回避していた梨子ですが、そんな梨子も13話にて千歌との間に想いの齟齬が発生します。

夕暮れのプールサイドでクラスメイトがAqoursへの加入を申し出るシーン、梨子だけが少し戸惑いの表情を見せていました。
その表情の意味が新規メンバー加入への抵抗なのか、それとも大会規約に反すると知っていたからなのか、このシーンではどちらとも取れて、判別が付きにくいところではあります。

その夜の窓越しの会話でも、噛み合いのズレを見せます。
「できるの?」「うん」
梨子が喰い下がりかけた様子を見ると、エントリーしていないメンバーがステージに上がれないことをこの時点ですでに知っていたことはほぼ確実でしょう。
つまるところ梨子が口にした「できるの?」とは大会規約についての話だったわけですが、それに対する千歌の返答は「うん」……さながら曜に「やめる?」と発破を掛けられた時のような返答です。もちろん梨子の質問の正しい答えは「できない」です。
煽られて燃える千歌らしい誤解ですが、あの千歌と梨子の間でQ&Aが成立していないというのは大事件です。
この誤解には千歌の中にあった「本当にできるのか?」という気持ちにも一因があったと思われます。そこに梨子からの激励の言葉(誤解)……おそらく千歌は、梨子に背中を押されたように感じたことでしょう。千歌も梨子のことが大好きなので。
3話で曜から「なんでそんな言い方するの?」「こう言ってあげた方が千歌ちゃん燃えるから」と教えてもらっていましたし、千歌の反応を見て、梨子は自身の言葉の選択ミスに気付いたと思われます。
梨子にとって、千歌と曜のようなツーカーの仲は憧れだったということも、そのやりとりに齟齬があることを言い出せなかった要因の一つでしょう。
しかしすでに10話の時点で梨子と千歌は大好きの間柄になっており、あの10話を経た後で今更そんな齟齬が生まれるかというと、そこには別の原因があると見ることができます。

そのヒントとして考えられるのが、この会話の最中に現れた千歌ママとのやりとり――「美人だねぇ」「いやぁ、それほどでも……あるかな」です。
もちろん意中の相手の家族に美人と言われるほど誇らしいこともないでしょうし、全百合界隈に衝撃の走る梨子の返答だったわけですが、それはさておきます。
これと似たやりとりは2話でも千歌と志満姉の間で行われていて、この時は「美人さんねぇ」「さすが東京から来たって感じでしょ」と語られていました。
このことから「美人=東京の子」という置換が可能なことが分かります。これを踏まえると、千歌ママの美人評に対する梨子の返答が「Yes」だったのは、梨子の、自身が東京の人間であるという自覚と見ることができます。
これは12話にて梨子が語った「音ノ木坂が好きだった」と連動していて、つまり梨子にとっての母校は東京の音ノ木坂であって、内浦の浦女ではなかったということです。

12話の例の砂浜のシーンにてこれからのAqoursのありかた、自由に走ろうと千歌が語った時、他の6人は肯定的な発言をしていたのに対して、梨子と善子だけが中立的に「自由に走ったらバラバラになっちゃわない?」「どこに向かって走るの?」と発言していましたが、これはこの二人だけが「どこに向かって走るか」の意識を共有できていなかったと取ることができます。
なおこの梨子の質問に対する千歌の回答は「0を1にしたい」ですが、東京のライブで突きつけられた「0」に関しては、同じく12話で曜が「よかった、今度は0じゃなくて」と言っているように半ば解決積みの案件で、ここで問題になっているのは入学説明会参加者の「0」……すなわち浦女の存続についてで、それがAqoursの次の目標であり、梨子と善子が共有しきれていなかった部分です。
東京出身の梨子だけでなく善子もその立場なのか、という件に関してですが、善子は浦女の統廃合の話を聞いた時、最初は肯定的な立場にいました。統合したら中学頃の友達に会うことになると聞かされてから反対派に回りましたが、反対派の立場を取った理由としては消極的なものです。このシーンでは花丸も肯定派でしたが、これは都会に憧れるキャラクター性ゆえの発言であって、本音では肯定しながらも中二病のキャラクター性と個人的な理由ゆえ反対派に回った善子とは事情が異なります。
また13話で客席に現れたヨハネの言葉が「私の羽根を広げられる場所はどこ?」であったように、善子にとって浦女は自身の輝ける場所ではなく、そうして輝ける場所を探した結果がネット配信という行動に繋がっていました。浦女の魅力を伝えようというPV撮影でも「土!」ですからね。
このようにAqoursメンバーを浦女への想いの強さで順位を付けると、やはり梨子と善子が下からの二人になります。
だからこそ砂浜のシーンで、その想いを共有できていなかった二人は、目的の言語化を要求せざるえなかったのです。


梨子がAqoursに入る決意をしたのは、「決めたよHand in Hand」で歌われたように、千歌の熱烈なラブコールを受けたからであって、決して浦女ためではありませんでした。(そもそも梨子の加入時点では統廃合の話は出ていません)
13話の図書室のシーンでは準モブ浦女生が「学校存続させるためにやってるんだよね」と呟いていましたが、これは梨子(と善子)にとっては「No」なのです。
千歌に選ばれた、というのは梨子のAqours所属に特別意識を与えていたはずで、千歌が大好きな梨子だからこそ、千歌に選ばれなかったモブのAqours入りに複雑な感情を抱くのもやむなしです。なおメインメンバーについては加入に際し千歌のアプローチが先にあったので許されていると考えられます。
そのため、たとえ新規メンバーを迎えた方が浦女を存続に近付けることになるとしても、その加入を心情的に受け入れることができませんでした。

このAqoursに所属する動機の違いが、13話の窓越しのシーンの会話の不一致に繋がり、またそのズレを梨子が自覚していたからこそ、直前まで新規メンバーがステージに上がれないことを伝えられずにいたと考えられます。


結局この部分にはしこりの残る一期最終話でしたが、二期では浦女に染められていく梨子の姿を期待しましょう。




話変わって、13話でしこりが残るといえば、大会規定ガン無視でステージの近くに集まって来た浦女生についても挙げられます。
この行動は、「MIRAI TICKET」の中で千歌が観客席に向けた「みんな、一緒に輝こう」に対する呼応であることは明白です。図書室のシーンで準モブ浦女生が言っていたように、浦女生は千歌たちの輝きに魅せられつつあって、それが千歌の言葉で大きく動かされた形です。
「みんな、一緒に輝こう」
千歌のこの言葉は観客席の人に向けられた言葉でしたが、千歌にとって観客席とは、ただの場所ではありません。1話で遠く観客席から曜を応援する千歌が描かれていたように、観客席はかつての千歌の居場所だったのです。
観客席を離れステージへ向かうという動作。
それはかつて観客席が居場所だった千歌が、μ'sの輝きに魅せられて、現在はステージの上へと――ステージに駆け寄る浦女生の姿は、千歌自身の辿って来た道のりそのものなのです。
μ'sと同じ、人を惹きつける輝き。
これこそが羽根という形で描かれた、千歌がつかみ取ったものなのです。




こうしてAqoursは、ラブライブ本大会を待たずしてμ'sと同じ輝きを手にしましたとさ。

もう二期なくていいじゃないかな。



(おわり)

無知識で見たラブライブ!サンシャイン!!の感想(Aqours編)

ラブライブサンシャイン。
秋葉原でμ'sの輝きにあてられた千歌ちゃんがスクールアイドルを目指すわけですが、これはサンシャインが新シリーズとしてのラブライブではなく、「ひとつの光となったμ'sがその輝きで幾多のスクールアイドルを先導する」というラブライブ劇場版の流れを汲んだ、純正品のラブライブの続編であることを意味しているといえるでしょう。特に劇場版ですら語られなかった「μ'sのその後」が描かれた12話は、サンシャインが本家ラブライブの続編としての色が強く表れていました。
そんなμ'sの輝きを追って結成されたAqoursですが、その物語はμ'sとは対照的なルートを辿ることになります。


最初の大きな分岐点が3話、Aqoursは体育館ライブの大成功を収めます。
これは思い出すのも辛いμ'sの初ライブとは真逆の、極めて対照的な展開です。
なぜここで成功ルートを辿ることができたか、というのはその場でダイヤの語った「今までのスクールアイドルの努力と、町の人たちの善意があっての成功ですわ」こそが真実であると思われます。
東京の人間と内浦・沼津の人間の性格の差……東京モンは冷たくてしゃあないという話です。
6話で顕著なように、地域の人々との関わり合いという点がサンシャインでは強く描写されていますし、地域性というのがAqoursを語る上で欠かせないワードになってきます。
千歌と梨子の家が隣なのも、都会じゃ近所との交流も少なかろうという対比的な設定だったのかもしれません。


さておきμ'sとの対比というと、やはり12話です。

ただその前にラブライブ二期の11話を思い出すと、にこの「メンバーが変わっても名前は変えずに続けるのがアイドル」や亜里沙の「私もμ'sに入れますか?」を突っぱねて、「μ'sはこの9人」「大会が終わったらμ'sはおしまいにします」と宣言されたのが、あの砂浜でした。

そんな加入も脱退も許されなかったμ'sですが、一方のAqoursはそれとは対照的な描写が重ねられています。
9話で「未熟DREAMER」の衣装などから見て取れるとおり、二年前のAqoursと現在のAqoursは決して同じではない、しかしどちらもAqoursとして描かれており、これはAqoursは9人だけのものではなく、新規メンバーを受けれ入れられる形態であることを示しています。
また10~11話で、梨子が一緒にステージに上がらないことを是としたことは、一時的ではあれど離脱が許されるというμ'sでは起こりえなかったであろう展開でした。(まあ紅白とか色々あったけど)

「この9人じゃないとダメ」としてμ'sが解散した地で、μ'sを追うことをやめたAqours

別ルートを進むことが確定的となり、そんなAqoursのグループとしてのありかたの違いが、13話における新規メンバーの歓迎や「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」といった、決定的な新展開に繋がるわけです。


さて12話のもうひとつ(本当はもっとたくさんあるけど)の重要な描写は、やはり千歌が舞い降りる羽根を受け取るシーンです。
μ's解散の地(ちょっと違うけど)で、千歌が羽根を受け取ったのはとても感動的な演出でした。
この羽根というアイテムは言うまでもなく「どんなときもずっと」でμ'sのメンバーが受け取り、そして「僕たちはひとつの光」で手放した、スクールアイドルとしての輝きの象徴です。
そしてこの羽根は、サンシャインにおいても「君のこころは輝いてるかい?」のPV冒頭や、1話でも描かれてきましたが、いずれも掴み取ることはできていませんでした。
しかし12話にしてついに、千歌はその輝きを掴むことができたわけです。

ここの描写で羽根を受け取ったのは千歌なのかAqoursなのか、というのはどっちとも取れると思いますが、13話でユメノトビラを見付けて、抜けていったのが千歌だけと考えると前者でしょうか。
ついでに言うと13話で歌われた「MIRAI TICKET」とはこの羽根のことだと思っています。ライブ中にそれっぽい演出があったわけでもないので断言はできませんが。



――と、そうして輝きとしてのスタートラインに立つところでサンシャイン一期は終わります。

しかしμ'sですらその輝きを手にしたのは二期から劇場版にかけてようやくであり、そこに至れたということは、Aqoursとしての物語を完結させるには十分な場所に来ているので、二期が不要な作品構成になっていると思います。






いやいやいやいや、統廃合の問題が全然解決してない!




……ということでさて、Aqoursと浦の星女学院についてです。


さきほど挙げたように、μ'sはあの9人でなければμ'sでなく、だからこそ三年生の卒業がμ'sの終焉となりました。
一方でAqoursは新規も脱退も受け入れられる形態にあり、それは三年生の卒業がAqoursにとっての終焉ではないことを意味しています。
ではAqoursの物語に終止符はいかようにして打たれるか、と考えると、それは浦の星女学院の廃校に他なりません。
沼津にもAqoursのファンがいることは3話や12話でしっかり描写されていて、統廃合は決して暗いだけの未来ではない、という道筋も示されています。

踏まえて、Aqoursが浦女を守ることに失敗する可能性は――多いにあると思います。

アニメの最終話としては統廃合問題を解決させるべき、という論は解決することが前提であり、あえて描かないことで廃校の可能性を消さなかったのだと考えることができます。
こちらは根拠と呼ぶには乏しいのですが、12話でAqoursの進む道を決めた砂浜も、13話で新規メンバーの加入が決まったプールサイドも、前向きなシーンにも拘わらず、夕焼けの下、どこかもの悲しさを含んで描かれていたのはどこか終末的というか、そういうことなのかなぁと邪推できなくもありません。善子もラブライブのことを神々の黄昏って呼んでたしね。


Aqoursにとっての終焉が浦の星女学院の廃校だとすれば……13話こそがサンシャイン一期の最終回にふさわしいものであると思います。

もちろん廃校の可能性もあるというだけで、それを信じているわけではありません。
しかしAqoursが迎える未来は、廃校に伴う解散か、メンバーが入れ替わっても続投のどちらかであろうとは考えています。


Aqoursの行く末やいかに……

 

(おわり)

★★★ CAUTION ★★★

このブログは人に読まれても構わない程度の備忘録的なものとして作りました。

主にアニメオタクがアニメを見て思ったこと感じたことを書いていく場になる、もしくは、書くことを思いつかずに全く更新されないネット上の廃墟になる予定です。

まあそんな感じです。